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12/4(金)。結局、ほとんど眠れず。うとうと…としたところで咳の波がやって来て苦しむ。泊まっていたホテルの壁は厚かっただろうか、隣にはどなたか泊まられていただろうかなども気になりました。
ホテルの床もなかなかのかわいさ。フロントに荷物を預かってもらい、咳と戦いながらも少し出かけます。
行ってみたかった「bread A espresso」で朝ご飯を食べる事に。6時半から開いているパン屋さんで、2011年に開店されました。
パンを買いに寄るお勤めの方が次々と来られます。店内のカウンターで食べているのは私のみ。カフェラテとアールグレイのパンをいただきました。袋にはゴルゴンゾーラ。
ショコラやカレンツ、胡桃&レーズンなど食べてみたいパンがたくさん。
今ではさらに人気が出て並んでいる人達でいっぱいだとか。
路面電車の一日乗車券は500円。カード式でなくパンフレットになっており、降車時に運転士さんに押印された日付を見せるタイプ。路線図が載っていて便利です。
あまりにも咳がひどいので耳鼻咽喉科に行く事を決心。行きやすそうな耳鼻科が開く時間まで、朝早くでも開いている行っておきたい所に向かいます。
平和公園に来ました。
1969年に世界恒久平和を祈念するために造られた平和の泉。6mほどの高さまで噴水があがります。
黒い御影石に刻まれているのは
『のどが渇いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが 一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました 
―あの日のある少女の手記から―』
平和祈年像にも手を合わせます。1955年に完成、青銅製の像で高さ9.8m。
ツアー客の皆さんが記念撮影をされているところに混ざりかけてしまいました。
”長崎原子爆弾落下中心地碑”。この地の上空500mで原子爆弾が炸裂。70年前の事であっても気軽に近寄ってはいけない気がして離れた場所から撮影。
”被爆当時の地層”。この地層の中には破壊された家の瓦、レンガ、熱で溶けたガラス、茶碗、針金などここに住まれていた方が生活をされていたというのを感じる事ができます。
被爆50年の1997年に設置された”爆心地公園内の母子像”。台座には原爆投下の日時のみが記されています。
空気の問題か気持ちの問題か公園内にいる時には咳がマシでした。しかし電車に乗るとまた咳き込む。帰りの電車までの貴重な時間を楽しむために耳鼻科に行きます。
行動範囲内にあり、駅から近く、口コミをチェックしたりもして決めた耳鼻科。優しく診てもらえてそれだけでも良くなった気がする。吸入も効果があり、かなりラクに。
薬局で薬を受け取り、さあ再出発と思ったところで視野に入った看板。歯医者さんの看板のかわいさよりも”必殺カット”が気になる!”天然植物性専門店”とも書かれている。
咳き込む頻度が少し減ったけれど油断はせずにおとなしめな行動を。路面電車に乗って移動します。
停留場に紫陽花の絵、長崎市の花だと知りました。
思い付きでオランダ坂あたりを歩いてみる事にしました。
観光よりも喫茶店に行ったり飲食がメインの旅が多いのに、今回は咳が出る事で色々と断念。店の中で咳が止まらないというのは避けたいし、昨夜からの咳き込みが強かったせいでお腹が筋肉痛で食欲があまりない。長崎の旅は万全の体調でリベンジしなくては!
しかし歩き過ぎるとまた咳がひどくなりそうだし、途中で脱線して下りながら中華街方面に抜けるコースで。
色々な映画のロケ地になっていた活水女子大学の建物を歩きながらながめたり、石段を降りながら町の風景をながめたり。
ちょうどこの時期に映画「母と暮せば」をやっており、嵐のニノが出ているというのにまだ観ておらず。観ていれば長崎のロケ地を歩けたのにね、と少々後悔。
住んでいる人の生活が見える通りを歩くのは楽しい。斜面都市というのを感じながら、長崎新地中華街の南門に到着。中華街には行かず遠くから様子を伺ったのみ。

11時、お昼ご飯にはちょっと早い時間だけど「吉宗(よっそう)本店」へ。
2012年に放送された「嵐にしやがれ」でこちらの総料理長がニノに茶碗むし作りを教えるという企画があり、覚えていたのです。食べられる日が来てうれしい。
色々なメニューがありましたが、シンプルに”御一人前(茶碗むし・蒸寿し)”を。茶碗むしは喉にも優しくてちょうど良かったです。具沢山でおいしかった!
喫茶店は行きたいところを絞って数店だけまわる事にします。食後に薬を飲んだのでさらにマシになりました。
まずは絶対に行きたかった「珈琲 冨士男」。
戦後すぐの1946年創業の老舗の喫茶店。
12時頃の店内、こちらで昼食をとる方や食後のコーヒーを味わってらっしゃる方でにぎわっています。入り口近くの席が空いていたので座りました。
遠藤周作の「砂の城」に登場する事でも有名。『タナカヤで流行の服を見物したあとは、 銀嶺か富士男という店でやすむ。 富士男は珈琲がおいしい。』
コーヒーを注文し、45分ほどくつろぎました。厚焼きタイプのたまごサンドを食べたかったのですけど、もっと元気な時に来ていただく事にしました。
いただいたマッチ。一時期は9店舗もあったそう。
「宝雲亭」のおじさんは高校を卒業してすぐに「珈琲 冨士男」に勤めていたとおっしゃっていました。
「珈琲 冨士男」から近い「珈琲 人町」に寄ってみて、コーヒー豆を買いました。人町ブレンドの”3”、深煎りを。店でコーヒーを飲む事もできます。
「ぱんのいえ 東洋軒」へ。”本家サラダパン”が人気だった「東洋軒」がこの年の一年前に閉店され、店舗をリフォームした跡地に「ぱんのいえ」が出店。
”本家サラダパン”のレシピも引き継がれました。
パンの中には手作りのポテトサラダとフチが赤いハムが入っています。帰りの電車でいただこう。
路面電車で移動しながら、喫茶を減らした分、買い物で動きます。
通りかかった幼稚園の壁がかわいかったので思わず撮ってしまう。
「からすみ茶屋なつくら」の坂本さんから教わった「coeur de joie.」に来てみました。店内には素敵なものがたくさん並んでおり、ふらりと来てサッと買えるものではないけれど手に取って見せていただいたり楽しいひととき。
タイミング良く長崎レデンプトリスチン修道院のクッキー缶が入荷した日で、こちらを買って帰る事にしました。
あちこちの銀杏がきれいでぶらぶらと歩いているだけでも楽しめています。
線路は見えているけれど使われていない3号系統。この年の10月に脱線事故が起こり運休しているのです。2007年に二回、その後2016年にも一回、2020年位も一回脱線している。
「coeur de joie.」から散歩しながらたどり着いた1925年創業の「ホンダ洋菓子店」。長崎で最も古い洋菓子店で看板商品はスイスロール。
買って帰れないけれど犬の”ポニー”、猫の”ノラ”のケーキもかわいい!
スイスロールを購入。スイスだけど赤、白、緑の色合いな箱もいいね。
スイスロールの包装デザインもシンプルでいい。
スイスロールはロールケーキの中心にアップルパイ、クリームはバタークリームなのも好きな味でした。
大(一本)、中(ハーフ)、小(カットサイズ)があり、私が買ったのはハーフサイズ。
二階はこの時には使われていなかった喫茶室になっており、お店の方が「見て行っていいよ」と言って下さったので少しおじゃましました。青い床に白いテーブルと椅子、また椅子の形もかっこいい。営業されていた時に来たかったなあ。スイスロールセットなどもあったようです。
「ホンダ洋菓子店」は2017年6月から休業され、2018年3月に閉店されたとの事。
街角の動物。ウインクしているペンギン、旅先で時々遭遇するパンダの”とまれ”マーク。
2000年は日蘭交流400周年でそれを記念した”ながさき阿蘭陀年”で作られた出島のデザインのマンホール蓋。
市の花、紫陽花のマンホール蓋。
行っておきたかった喫茶店にもう一店寄るために路面電車で移動します。メモしていた場所の中で駅から一番離れている場所、新大工町へ。
歩道橋からのながめ。
「珈琲 冨士」。昼過ぎに行ったのは「珈琲 冨士男」。ドアを見ると”冨士男”の”男”が消されたような感じ。聞いてみると代替わりをして”男”を取ったのだとか。
「珈琲 冨士男」よりもこぢんまりとしており、旅の人よりもご近所の方がくつろげる印象でしょうか。
コーヒー色の壁や椅子が落ち着きます。
円形で電球の上部が鏡になっているから倍の明るさがある照明。壁面にも鏡。
喉に優しそうなホットレモンをいただきました。
既に閉館している「玉屋」。一階には新大工町市場が入っており、解体前の2017年3月まで営業されていました。
シロアリの横に議員の中村しゅんすけさん。
路面電車に乗るのもあとわずか。ほぼ貸し切り状態の瞬間がありました。
更新していて気付いた事、2018年8月に13ヶ所の停留場の名称が変更されたそう。
15時過ぎ、余った時間で再び「長崎県美術館」へ。歩いてばかりも疲れるし、お腹いっぱいで店にも入れない。という事でもう一度展示を見る事にしました。前日よりも軽いめに。
そして最後に追加でグッズを購入、たまご型のふかふかとしたtambourineのブローチ、birdのブローチを三色。全色欲しいところをこらえて三つを選びました。
駅に向かいながら路面電車、最後の乗車。学校帰りの子供達で賑わっている時間帯。
長崎駅から近い「長崎中央郵便局」に行き、ご当地フォルムカードの皿うどんと軍艦島を購入。風景印は出島、オランダ商船。
長崎駅に戻って来て残りの時間を駅に直結している「アミュプラザ長崎」で過ごしました。エレベーターのドアに「母と暮せば」。映画館も入っている施設。
ホテルで荷物を受け取り、最後に駅でおみやげを買ってから改札内へ。
構内には御朱印船のレプリカ。そして国鉄急行色のキハ66・67形気動車。
帰りは787系のかもめ40号。つばめの車両を転用したものです。
17:50発、ここからまた博多を経由して長い旅となります。
サガン鳥栖のホームスタジアム「ベストアメニティスタジアム」を鳥栖駅に着く直前で撮影。鳥栖駅のホームにはサロンパスのベンチ(久光は鳥栖の会社)。
まだ時々咳が出る車内で”本家サラダパン”を夕飯にし、あとは目を閉じて静かに過ごしました。昨夜はほとんど寝ていないのに疲れ過ぎて眠れない状態。
19:51に博多駅着、20時発ののぞみ98号に乗り換え、新大阪には22:28着。時間的にも体力的にもタクシーで帰宅。片道5時間ほどかかるというのに一泊は忙し過ぎでしたね。
買ったおみやげの色々を。
片面には”す.”と書かれた紙袋。洋画家の鈴木信太郎のサインの”す.”です。
紙袋の裏面、そして復刻版クルス缶の小さい紙袋。
「小浜食糧株式会社」の銘菓クルス、この年の9/11にクルス生誕50周年×アミュプラザ長崎店15周年×アーバンリサーチがアミュプラザに出店された1周年でクルス発売当時のパッケージをミニサイズで復刻されたのだそう。パッケージのイラストのシスターと南蛮人は鈴木信太郎さんが長崎に来られた際に食事の席で描かれた作品。
ポルトガル語で”十字架”を意味するクルス、薄い生地に挟まれたホワイトチョコには生姜が入っていておいしいのです。
クルスの仲間の”クルスクランチチョコレート 珈琲”、定番のクルスと珈琲味、苺味の三種が入った詰め合わせも購入。
湯せんべいがこんなにかわいい箱に!色合いもデザインも素晴らしい。アルファベットで”YUSENBEI”、中身は昔ながらのパッケージ。おみやげにしたら喜ばれました。
こちらもおみやげに買った長崎サブレ。教会の窓の形をしたサブレはやさしい甘さ。
箱には”旅・ロマン・出あい”と書かれています。
菓舗「唐草」の”おたくさ”。紫陽花の花びらをかたどったパイ生地のクッキー。
大好きなので絶対に買おうと決めていた「茂木一まる香本家」の”茂木ビワゼリー”。
スーパーで買った”チャーメン”。皿うどんっぽくして好みの具材を使っていただきました。
行く先々でいただいたショップカードやDMなど。
長崎といえばちゃんぽんなのかもしれないですが、旅でちゃんぽんを食べなかったのは得意でないから(スープの牛乳系が)。ミルクセーキも冷たくて一人では無理そうですし、今回の旅だったら咳がさらにひどくなっていたと思います。食べる事はすごく好きなのに、その土地の名物メニューが食べられないという事がけっこうあるのです。
長崎といえば、のもうひとつ。カステラは「母と暮せば」のオリジナルを「文明堂総本店」で通販しました。2015年11月14日~2016年2月12日に販売。
題字が100%ORANGEさんなので欲しかったのです。箱だけでなく、カステラの焼印にもしっかりと。
「文明堂総本店」のカステラなので安心のおいしさ。
注文が混み合っているとの事でギリギリの長崎の旅から随分経った2016年2月に買いました。
映画もギリギリ、朝の一回しか上映していない頃に。
今回の旅はmina perhonenの展示きっかけではあったけど「母と暮せば」のタイミングと合っていたり、行く先々で親切にしていただいて予定していた旅からさらに広がって楽しめました。
ただ、気管支炎の症状がひどかったために行動が制限されたので、次こそはもっとあちこちに、そしてできるならば飛行機を利用して長崎での時間を増やしたいものです。
(2020.6.25 更新)

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